写メ投稿
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2025-04-18
『救い』
みなさまこんばんは
生きること おつかれさまです
岡山萬天堂の葉と申します。
今日から2泊3日の東京出張いってきます。
道すがら、新幹線の中で日記何書こうかなぁと思いながら席に座り、後ろのオシャお兄さんに『すみません少し倒します〜』って言った時の笑顔たるや…音楽聴いてらしたから気付かなそうだったのにパッと目があって笑顔で『うんうんうん』って応えてくれて、まるでいきつけのバーに入って注文する前にいつものジャスハイを出してくれた時のような…久しぶりに会った友達に『お前これやったよな?』って挨拶がわりにタバコをくれた時のような…そんな日常の中の非日常、些細な、でも確実に、『救い』となるような優しい笑顔でした。
『救い』それはきっとすごく小さなことで良いんだろう。
大きな救いを求めることもできると思うけれど、その途方もないスケール感や難易度に圧倒されてしまう。でも小さな救いは確実に身近にあって、しかも取捨選択ができるものであることが多いから。
ある人は音楽、ある人は本、ある人は…
メインカルチャーだとかサブカルチャーであることは関係ないし、そもそも文化である必要すらない。
大きなことを言えば死が救いかもしれない、無人島で自給自足することが救いかもしれない、お墓に入りたくなかったり、どうにか土に還りたいとか海に散骨して欲しいと願い求めることが救いかもしれない
人それぞれの救いはきっとその人だけの特別な感覚で、全てにおいて誰に否定されるものでもないからこその救いなんだと思う。
ただ、そんな圧倒されるような救いじゃなくても、生きている時間で小さな救いはやっぱりそこいらにあって、後ろのお兄さんの笑顔や、春が来て植物たちが花を咲かせたり、動物に触れ合ったり、会いたい人に会える事、いろいろな気持ちが高揚する瞬間は僕にとって救いの1つなんだと思い知らされる。
良い映画を観た
良い音楽を聴いた
琴線に触れる出来事があった
なんでもいいよね
本当になんでもいい
何かに対して自分の心がプラスに動くのだとしたらそれは救いになって然るべきで
僕自身もね、心穏やかに、誰かの小さな救いになれたらと、そんなことを思っています。その気持ちが巡って僕の救いになるから。
まだまだ未熟者ではありますが、ご容赦ください。
あなたの救いはなんですか?
おしまい