写メ投稿
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2025-02-21
ゼロに 人は人を求めている 愛、愛欲は巡礼の旅
ゼロにしてください。
喜多郎の『巡礼の旅』
この歌がなぜ妙に心に響くのかがわからなかった。
曲のクライマックスで、クジラの鳴き声のような哀切な響きが聴こえてくる。
悲鳴のような、けれど、澄んでいて悲しみのない、曇りのない叫び、その声。
悲しみ、切なさ、苦しみ。愛。愛憎。裏切り、嫉妬。
美しさも、ネガティブなものも含めて、すべてが動物的な泣き声に聞こえる。
流れてゆく雲。
この遥か地平線を流れてゆく。
どこにもたどり着けない。
たどり着けないまま、
形が崩れて、こわれて、消えてしまう。
けれど、どこかに、また生まれる。
あの雲。
白い雲。
あれは女性の性の切なさと喜び。
あれは女性の声。
性に満たされた、喜びの声。
喜多郎は、幾多郎ではなく、喜多郎。
それは「喜び」
ベートーヴェンの『歓喜の歌』とは異なる、喜び。
たぶん、日本人独自の喜びなのだろう。
女性の声。
その心に乱される。
果てしない性の海、聖の旅。
愛も、愛憎も、愛欲も、巡礼の旅。
それはいつまでたっても、どこまでいっても終わりはない。
終点はない。
それは、たぶん死。
死ぬまで性欲や愛欲、愛憎、生きている苦しみ、淋しさ、切なさにほんろうされ続けなければならない。
けれど、それは生命に宿命づけられた巡礼の旅。
女性の愛欲の声は、幸福の歌。喜びの歌だ。
喜多郎の『巡礼の旅』が、
なぜ妙に心に響くのかがわからなかった。
女性の喜びの歌。
その歌を聴くために生まれてきたのだ、と思った。
ゼロにしてください。
白い声。
この降り続く雪のような、まっしろな声。
女性風俗のセラピストをしていて、その声を聴く。