写メ投稿
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2024-12-04
日本歯科医師会×note エッセイコンテスト応募作品「母の歯を磨く」
母の歯を磨く
「口を開けて。もっと大きく開けて」
私は母の口を開け、歯間ブラシで歯の汚れを取り除く。
母はおとなしくじっとしている。私を歯医者の先生と思っているらしい。
「よく磨けています。きれいです」と私が褒めると、母は少し笑う。
認知症の母は、自分で歯を磨くことができない。
介護施設の職員に頼んでも「人が足りない」と言われ、母の歯は磨いてくれない。
「月に一度、歯の先生が来て、歯の掃除をしてもらっているから(職員が歯の清掃をしなくてもよい)」と施設側は答える。
だが、母の歯茎は赤く腫れ、出血しやすくなっている。強烈な口臭もあり、母は自分でもどうすることもできない。
認知症になる前、母は丁寧に歯を磨いていた。
だが、今はそれができない。私は仕事を辞め、フリーのカメラマンやライターをしながら、ほとんど毎日、母の歯を掃除している。
ある日、母が施設を追い出された。理由は、母がドアをたたき、職員が泣き出したからだ。
施設側と精神科医は「お薬を飲まれないので入院させましょう」とも言ってきた。
私は施設長やケアマネージャーの前で母に薬を飲ませることができているのに。
世話のかかる母親を追い出しにかかっていることは明らかだった。
私は抵抗したが、大きな権力に逆らうことはできなかった。
もともとは在宅で母の世話をしていた。
だが、母は自宅で転倒し、大けがをした。母の安全を考えて施設に入れるしかなかった。
施設側の対応が悪いのではないか、と言ったが、「それであれば、お母さまをお連れに帰ってください」と言われた。
すなわち、施設から出て行ってもらいたい、ということだ。
母を自宅に戻せば、すぐに大けがして、首の骨を折るなどの致命傷を負うだろう。
母親を連れて家に帰れ。施設から出て行け。
それは、すなわち、母の死を意味していた。
今のこの日本は、本当に施設を必要としている認知症患者や、知的障がい者を受け入れる施設がない。
施設を追い出された母は、この世界にどこにも行く場所はない。
母は精神病院に強制的に入院させられた。
久しぶりに会った母は、以前の母ではなかった。
笑顔で話していた母が、しゃべれなくなり、食べることもできなくなっていた。
たった一ヵ月で、母は別人のようになっていた。
母はすっかりやせ細り、車いすに乗ったまま完全に歩けなくなっていた。
母は一切の自由を失い、私と面会できる機会も失い、生きがいを失い、自分の心をわかってくれる人が誰もいなくて、自分はもう見捨てられたのだという絶望と孤独感が母を追いつめた。
病院では、母が食事を残すとすぐに流動食に変えられた。
私は母に声をかけて食事をさせることができるが、病院はそんなことをしてくれない。
母は精神的に落ち込み、食欲を失っているだけなのに、病院側は固形物が食べられないと判断し、流動食に変える。
それは制裁のようないじめだった。
母が抵抗すれば、重たい鎧のようなプロテクトを着せられ、自由を奪われる。
うつむくことが多い母は、プロテクトの襟で首をしめつけられ、深い傷ができていた。
母は窒息死するかもしれない。
それを指摘しても、病院の看護師は「知りません」と答えるだけだった。
公的機関に母が虐待されている写真見せて、すぐに改善してもらうようにと言ってくれたので、それを病院側に告げた。
後に病院の相談員から、「こういったことが今後も続くと、主治医に報告しなくてはならず、その結果、退院してくださいという判断になってしまう」というメールが送られてきた。
母の首の傷は、二カ月が過ぎた現在も消えていない。
治療もしてもらっていない。薬さえつけてもらっていない。病院にいるのに。
それを口にすれば、「出て行ってくれ」と言われる。
母は、この世界のどこにも行く場所はなかった。
母はもう食べられない。大好きな寿司も、柿フライも、アップルパイも。母はもうしゃべれない。
大好きだった津軽海峡冬景色の歌も、歌うことができない。
いつも目やにがいっぱいで、唇は乾ききり、唇の端が切れて血がにじんでいる。
母は、精神病院に入れられ、人間らしい生活を送ることができなくなった。
施設がもっと親切に対応してくれたなら、家族のように母に愛情をそそいでくれたなら、母はこんなふうにはならなかった。
今は、わずか十分間だけだが、母に会うことができる。
その十分間の面会のために、私はバイクで往復三時間かけて、ほとんど毎日、母に会いに行く。
母はもう食べられない。それでも、私は言う。
「よく噛んで、飲みこんでね」
母の目は動かないが、しっかりと私の目を見つめている。
私が言っていることをわかっている。
母の口は、吐き気がこみあげてくるほど強烈に臭い。
ちゃんとケアしてもらっていない。
私は、母の歯を磨いてあげる。
「口を開けて。もっと大きく開けて」
私は母の口を開け、歯間ブラシで歯の汚れを取り除く。
母はおとなしくじっとしている。
「よく磨けています。きれいです」と私が褒めると、大きく見開かれた母の目から、大きな涙がツツっ―――と頬を流れ落ちた。
私は言葉を失った。認知症で、脳のほとんどが水になっている母は、ちゃんと覚えている。私が毎日、母の歯のケアをしていたことを。
母は、忘れていなかった。
私が母の歯を磨き、おいしいものがいつまでも食べられるようにと、いつも歯のケアをしていたことを。
噛んで飲みこむ。何の自覚もなく、あたりまえのようにしていることがどれだけ大切で、どれだけ幸福なことか。
青空を流れる雲。鳥の鳴き声。川のせせらぎ。
うっすらと明るくなり始めた夜明けの空を映し出している窓。
影絵のように眠っている街を優しく照らし出す白い起伏。
そんな何気ない一つひとつのことが。
「生きるだよ。お母さんは生きるんだ」
面会で母に会う度に、私はそう呼びかける。
母はもう笑顔を見せることも、話すこともできないが、私の顔をじっと見つめている。
母の黒い瞳に、私の顔が映っている。
噛む喜び、食べる喜び。噛む幸せ、食べる幸せ。
そんなあたりまえのことが、どれほど大切で、どれほどの喜びと幸福があるのか。
その喜びと幸せを、もう一度、母に。
その奇跡が来ることを信じて、私は今日も、母の歯を磨く。
今日も、母の歯を磨く。