親愛なる皆様、真島(ましま)です
多くの人が流されるような多数者の基準に漫然と従うのは危険です
なぜなら、その基準から排除される人をつくりあげ、追い詰めていくことにつながるから
そして、気づかないうちに、自分自身が追い詰められる対象になるかもしれないから
人類の歴史を振り返ると、同調圧力によってマイノリティが簡単に排除の対象となってきました
なぜマイノリティが攻撃されやすいかというと、リベンジされるリスクが低いから
つまり、いじめ返されるリスクが低いから、いじめてしまうわけです
これは今も世界中で起きていることで、わたしたちは進歩したように見えて、まだまだ野蛮な社会に生きています
ただし、力のあるマイノリティであればいじめられません
ユダヤ人が必死で自分の子どもたちを教育し、知識や教養を身につけさせ、さらには子どもの頃からお金を稼ぐ方法を教えるのはそのためです
民族の数としては少なくても、身につけた知識や教養は自分を守ってくれる
そして、それをもとにして稼いだお金で政治的にロビー活動を展開し、政財界と密接につながっていれば簡単には攻撃されないということも知っている
「わたしたちを攻撃したら、あなたたちが危なくなる」というメッセージを発し続けることができるわけです
もし、あなたが少数者の側にまわってしまったときにも、自分の基準を持ち、自分の頭で考える行為そのものがあなたを救ってくれるでしょう
「みんなはAだと思っているけれど、わたしはBが正しいと考える」という揺るがない基準を持てなければ、自分を守ることができず、簡単に排除の対象にされます
客観的に考えた自分の基準や意見を持つこと、いわば自分だけの「見る目」をつくることは、自分を守るためにも必要な力だということです
ですから、いま「学ぶことで自分を高めたい」と考えている人には、自分を高めるだけでなく、価値を測る基準をつくるという視点を持つことをおすすめします
もっと言えば、自分の基準をつくる営みこそが「学び」です
以前書いたように、もともと人間の脳は価値を測りにくい仕組みを持っているからこそ、なおさら自分の基準をつくるために学びが大切になるわけです
学ばない人は、常にまわりの人と比べなければ、自分の基準を設定できない
一方で、学んでいる人は、いま起きている現象だけでなく、歴史上の人物や出来事を参照できるので、自分のなかに歴史という知識の蓄積を持っていて、その中で、いまの自分の位置を測ることができる
わざわざまわりにいる人と比べる必要はありません
そして、たとえ失敗したとしても、他人に振り回されたわけではなく、あくまで自分の基準にもとづいて判断した結果であれば、納得感も得やすいのではないでしょうか