――私は何か目標を持った時、「もっと早くスタートしていたら今頃は違っただろうな」「今からはじめたら、達成するには何年かかるだろう」と、早めにスタートしなかった事への後悔と、同じ年齢で既に目標とすべき姿になっている人への羨み、成功するとも限らない未来など考え、結局、本腰が入らないまま時が経ってしまいます。その間にも私よりも後にスタートした人たちに追い抜かれ、さらにやる気がなくなってしまうのです。
「人生いつからでもスタートできる」と思い込ませようとしましたが、やはり私の思考の癖は消えません。このような思考にどのように向き合えばよいか、アドバイスをください。
今、どれほど目標を達成できているか
あなたはそれを正確に見る必要があります
自分の弱点を見つけて、それを克服するために先手を打って努力されてきたのではありませんか
あなたはすごく克己心のある方なのだと思います
あなたのこれまでの生き方を端的に表現すると、いわば「ゴールポストを後ろに後ろにとずらしていく戦略」です
すでに達成していることは、これは真のゴールではない、とどこかで処理してしまって、新しいゴールをつくってしまう
そうやって無意識にゴールポストを動かしてしまうほど、あなたは自分に鞭打って前に進むことが自分を成功に導いてきた、と信じているのではないでしょうか
自分はもっとできたはずだから、もっと頑張らなければいけない…そうしたモチベーションの上げ方で、多くのことを成し遂げてこられたのだろうと思います
私には、そのやり方をやめたほうがいいですよとはとても言えません
多くの人があなたのことを尊敬のまなざしで見ているはずです
人の称賛するようなことをやり遂げてなお、おごらずに努力し続ける、克己の人。今もずっと、自分はもっと努力できたはずだと自らを省みて、弛みなく前に進もうとする、闘志の人です
あなたのような人を私はうらやましく思います
私はどちらかといえば今がよければそれでいい、明日できることは今日やりたくないと思うタイプでして、今がよくてももっとできたはずだ、さらに頑張ろうというあなたのような人を見ると、もう手放しで称賛したくなります
あなたのような方がいるから、日本はまだなんとかなっているのではないかと思うほどです
自分より後からスタートした人に追い抜かれているように感じているとのことですが、私たちは一直線に上から下へと並んでいるわけでもなく、バラバラに3次元に分散して暮らしているというのが実際のモデルに近い
誰かが先行しているように見えても、実は数直線の矢印の方向は逆向きだった、ということはしばしばありますし、誰が上とか下とか、幸福度がどうなのかという基準さえ、万国共通のものですらないです
人間の認知なんて意外なほどいい加減なものです
3人ほどが「あの人がすごいね」と言っている場面に出会えば、「みんながそう言っている」とほとんどの人は言い始めるでしょう
n=3、つまりサンプル数が3なんて、ほとんど統計的に無意味です
現実に誰が先行しているのか、統計的に検証なんて、誰ができるでしょうか
やってもほぼ無駄ですし、あまり考える意味もないと個人的に思います
「あの人が先行している」とか「ああ、私、あの人に追い抜かれている」というのは、あなたのモチベーションを上げるには役に立つ認知ですが、現実に起こっているとはとても言いにくいことだろうと思います
あなたは誰かに追い抜かれているどころか、むしろあなたのように目標を達成してなお、もっと前に進みたいと考え続けていらっしゃる姿を、本当にすごいな、立派だなと敬意を持って仰ぎ見る人が真島も含めてたくさんいるということをぜひ、折に触れて思い出してほしいなと思います
慣れない大宮駅で方向感覚を失った真島を貼っておき〼
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