自分のものさしで図りすぎると邪魔になってくるもの。
でも、決して他人には譲れないもの。
人生に置いて厄介なものでもあるし、時には抜群の効果を発揮するもの。
また難しい事を考えさせてきますねー。
プライドと言うと皆さんはどんなイメージを持っているでしょうか。
悪いイメージ?良いイメージ?よくわからない?
僕の答えは至ってシンプル。よくわかりません。
確定的な物事を指す言葉では無く、物凄く抽象的な物ですもの。そりゃあよくわかりません。
よくわかりませんが、わかっている部分も大いにあります。
自分が自分である必要を示す時に良く使われたりしますね。
良い言い方をすると『芯』『筋』。悪い言い方をすると『頑固』『自己中心的』。
決して自分の意見を曲げたくない時、側にはすかさず此奴らが現れてきます。
プライドを保つ。プライドが傷つく。プライドが高い。
どれも自分視点から発した言葉です。この言葉達を見てわかる様に、自分が自分である表現をする時に良く使われるモノなのでしょう。
実際自分に当てはめてみるとどうでしょう。
僕は結構プライドが高かったように思えます。
何故過去形なのかと言うと、このお仕事を始めてから自分の意見が180度変えられてしまったからです。
『自分は他よりえっちな事が上手いはず』『他の人の意見や行動なんか参考にすらならない』『自分の考えがわからない方が間違っている』一年目はそんな事を常々思って居ました。
しかしそんなものはたったの一年で木っ端微塵に打ち砕かれました。
凝り固まった思考こそ余計なモノだったのです。所謂プライドが成長をずっと邪魔していたんですね。
自分が高次元の人間では無い、と気付いた時から幾分か生きるのが楽になりました。と同時に、雨の日に水溜りに入れたスポンジの様に物事を吸収するスピードが段違いで早くなっていきました。
しかしそれだけでは上手くいかないのが人生と言うもの。
何でもかんでも吸収していると、次は『自分』と言う存在の意見は何処へ?と言う疑問が生まれてくるのです。
他の人の意見に流されて、自分を見失ってしまう。結果プライドを保てずに個性が霧散してしまう。
自分で書いてて何て取り扱いが難しい代物なんだと驚愕して居ますよ今。
それを良い塩梅にしていく事が楽しみでもあったりするんですよね。
神様ってこう言う答えの無い要素をいくつも用意して、見事に人生に奥行きを作ってくれますね。ニクいなぁ。
僕は特にプライドが高い、低いからどうこうと言う事を説くつもりは一切ありません。
それぞれが個性で尊重されるべきですから。
ただ一つ言えるのは、優しい人間でありたいなって想います。
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