たまには今読んでいる本の話をば。
千葉雅也さんという哲学者が昔から好きで
(博多店の千葉達也さん、お名前似てるなとずっと思ってました!!笑)
最近出た『センスの哲学』を読んでいるところです。
ちょうど今日ページを開いたところにこんな文章がありました。
〝 芸術とは、時間をとることである。
(中略)時間を節約する、コストを節約する、ということばかりが言われる今日ですが、そもそも、無駄な時間という捉え方に奇妙なところがあると思うのです。むしろ時間それ自体が無駄そのものではないか
(中略)芸術に関わるとは、そもそも無駄なものである時間を味わうことである。あるいは、芸術作品とは、いわば「時間の結晶」である。〟
この「時間の結晶」って表現、
これが僕にとって「大事な物とそうでない物の違い」になると思います。
引用は芸術に関するお話でしたが、芸術に限らず、僕が日頃、大事だと思ったりする人や物の中には「時間の結晶」を感じることが多いです。
あるいは反対に、自分にとって大事な人や物はぜんぶ芸術なんだ、と言ってもいいかもしれません。
これって、でも、長く一緒に過ごしたとか、何年も大事に使ったとか、
そういうのもあるにはあるんですけど、それだけではありません。
たとえば初めて会った人との間にも「時間の結晶」を感じることはあります。
なんか気が合うな、とか、相手の言っていることがわかる気がする、とか、
それって今まで別々に過ごしてきた人生の時間がどこかで重なるから起こることだと思うんです。
それが感じられたら、その人は僕にとって大事な人になります。
でも、仮にそんなのもまったくなくて、共通点が何一つなくても、
この広大な情報の海から僕のことを見つけてくれたお客さんと初めて会って、
最低でも120分一緒に過ごすことができれば、そこには「時間の結晶」が生まれます。
何万、何十万という人に囲まれる現代で、たった2時間でも二人きりで過ごすのって、本当にかけがえのないことですよね。
あれ?いつの間に仕事の話になっちゃった。。
というわけで、
僕の写メ日記を読んでくださっているあなた!
僕とあなたの間にはもう「時間の結晶」ができてるんですよ〜
ふゆきでした( ´◡‿ゝ◡`)