ネットを徘徊していたらたまたま見つけた画像。
僕が32年間生きてきて思った感覚。
キャパシティとは受け入れられる容量の事。
人は、自分の育ってきた感覚でしか物事を見れない傾向にある。
「そんなことくらいで気にするな」
「別に気にすることじゃなくない?」
いや、そうじゃないんよなぁ。
あなた自身のみの感覚で物事を見んといてほしいんよな。
ダメージの許容量は人それぞれやから。
この画像のように
どれだけ矢(ダメージ)を受けても耐えられる強い人もいるけど、その人が大丈夫だからって
許容量の小さい人にその感覚で矢(ダメージ)を与えると時としてたった一矢(一言)で傷つかせたり
泣かせてしまうことがある。
「そんなことでクヨクヨするな」という言葉は
僕の中で、相手の気持ちを分かっていない以前に自分本意でしか物事を捉えて見れない人なんじゃないかな?
と感じます。
人には"それぞれのキャパシティ"がある事を前提に
対する相手に自分の感覚だけで心の内に入り込むような事はしないで欲しい。
そして時として
本人は、キャパオーバーにならないように「もう限界です」と心の悲鳴を表に出し、手を差し伸べてもらう事も必要です。
人生のどこかで、必ずキャパオーバーになる時はきます。
その時に「あの人は強いのに、自分は…」などと他人と自分を比べたりせず
"あなたは、あなた"で素晴らしいところも兼ね備えてる部分もあるんやから、自分の素敵なところを自分で褒めてあげてみてください。
キャパシティって自分の心の持ちようで大きくなったり、小さくなったりするものです。
誰かに泣きついたり 弱音を吐いたりすることは決して恥ずかしいことでなく
正直に言える強い心の持ち主だ。
と僕は思います。
「それぞれのキャパシティ」という言葉を理解した上で
許容範囲が狭い人は自分に自信を持ち、今まで自分本意だった人は
これから相手を少しでも理解できるように
少しずつで良いので
人の心に歩み寄っていくことから始めてみませんか?