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  • 2024-10-14

    10月は12回日記を更新しよ〜(6/12)

    プロレスが好きで「プロレスとは何か?」を考えすぎた結果、近代プロレスを受け入れることができなくなってしまってプロレスファンを辞めた一番面倒くさいタイプの元プロレスファンから観た「極悪女王」の話。
    あまりにも面白過ぎて色々と語りたい欲が止められない!
    元プロレスファン的にどうしても紹介しておきたかったことがたくさんあるのだ!

    いきなりだが、プロレスとは事前に勝ち負けを決めた上で行われるエンターテイメントショーである。
    そして試合の段取りや勝敗に関する決め事を「ブック」と称する。
    これはあくまでも隠語であり、日本のプロレスにおいて「ブック」はとても曖昧な存在だ。
    ファンも「プロレスとはそういうもの」と理解しながらも、そこには触れないように見て見ぬふりをして楽しむ人が多い。

    プロレスを題材としたドラマを制作する際に「ブック」の存在について触れるかどうかは大きな問題だ。
    そして「極悪女王」が画期的だったのは、作中ではっきりと「ブック」に言及している点である。
    勇気のいる選択だったと思うが、今現在のエンタメ化を極めたプロレス界においては、もはやそこに配慮しなくても大丈夫という判断なのだろう。
    僕もそれを倣って、「ブック」ありきで話そうではないか。

    逆にブック無しで、勝ち負けを決めずに行われる真剣勝負のことを「ガチンコ」という。
    今となっては「ガチ」という言葉はすっかり世間に浸透したが、もともとはプロレスや大相撲の隠語なのだ。

    プロレスでガチはご法度である。
    結果を決めずに試合を行えば、「客を楽しませる為の試合」ではなく「自分が勝つ為の試合」となってしまう。
    そうなれば見ている人は楽しくないし、何よりもどちらかの選手が怪我をしてしまう確率が飛躍的に高くなる。
    年間に200試合以上するプロレスにとって、怪我で試合に出られなくなることは何よりも避けたいのだ。

    だが頻繁にガチの試合が行われていた頭の狂ったプロレス団体があった。
    それこそ「極悪女王」の舞台となった80年代の全日本女子プロレス、通称「全女」だ。
    全女ではガチのことを「ピストル」と呼んでいた。
    とはいってもピストルは完全なるガチではないのが難しいところ。

    プロレスとは相手選手の両肩をマットにつけた状態で3秒間抑え込めば勝ちである。
    逆に抑え込まれた側は、3秒以内に肩を上げようと抵抗する。
    だがプロレスは勝敗が決まっているショーなので、基本的には「抑え込むフリ」でしかない。

    ピストルとは、この「抑え込み」を本気で行う試合形式なのだ。
    序盤は「普通のプロレスの試合」として行われ、決まった時間が経過したらピストルが開始される。
    後輩レスラーが適当な技を出して相手を仰向けにして「本気で」抑え込む。
    3秒以内に返すことができれば、攻守交替。
    こうして決着がつくまで交互に技をかけあうのがピストルである。
    真剣勝負とは言っても、首から上を攻撃したり、受身の取れない技を出していいわけではない。

    そして全女特有の暗黙のルールはピストルだけではない。
    それが「25歳定年制」である。
    どれだけ人気があっても25歳を迎えると会社からの扱いが露骨に悪くなり、ほとんどの選手は25歳を過ぎるとほどなくして引退してしまうのだ。
    当時はまだ転職や女性の社会進出に対する理解が進んでいなかったので、早めに女子プロレスから足を洗わせることで第二の人生設計を立てやすいという意図があった。

    この「25歳定年制」と「ピストル」の存在は作中では描かれなかったが、知っていると「極悪女王」の素晴らしいストーリーをより深く楽しめると思う。

    例えば作中においては「ジャッキー佐藤vsジャガー横田」がブック無しで行われていた。
    これは実際にピストルだったと言われている。
    ジャガーが勝ち、王座を失ったジャッキーはこの後すぐに引退してしまう。
    この時のジャッキー佐藤は24歳。
    25歳定年制があるため、どの道レスラー生活は長くなかったのだ。
    そう考えると「わざと」負けたわけではないのだろうが、どうせもう辞めるのだから後輩に花を持たせてもいいかと思っていたのかもしれない。

    あるいは物語のクライマックスである「長与千種vsダンプ松本」の敗者髪切りマッチ。
    作中では長与が「今の全女人気は全部自分のおかげ」という傲慢なキャラになっており、勝ちブックを譲るように直談判するもブック無しで戦う事になるという展開だった。
    これはドラマオリジナルのフィクションだと思う。
    実際の長与はある意味で究極のエゴイストであり、自己プロデュース能力が異常に高かった。
    自分が結果的に美味しくなるのであれば、負けることも公衆の面前で丸坊主にされる辱めも、喜んで受けるタイプだ。
    なのであの試合はブックが有ったし、長与は自ら進んで負けを受け入れたと思う。
    長与本人がドラマの監修に入っているのにこの描写をNGにしなかったのも、「こうした方が面白い」という計算が出来る人だからなのだろう。

    プロレスに否定的な人や興味が無い人はブックについて冷ややかな意見を述べる。
    「プロレスってやらせじゃん笑」と。
    では勝ち負けが事前に決まっていると言うけれど、それは誰がどうやって決めているのだろうか?

    人気のある選手が勝つのか、実力のある(ピストルが強い)選手が勝つのか。
    これはプロレス業界が抱える命題であり、「極悪女王」の中でもその葛藤は描かれていた。
    アイドル的な人気を博したジャッキー佐藤がエースの時は全女は大ブームを巻き起こした。
    だが歌って踊って人気になったアイドルが「プロレスラー」としてエースであることに否定的な意見もあるだろう。
    一方でピストルは強いが華の無かったジャガー横田がエースだった時代は、人気が低迷した。
    どれだけ実力があっても、客が呼べなければ会社としてやっていけないのだ。

    そう考えると、人気の長与と実力の飛鳥がクラッシュギャルズとしてブレイクするも、方向性が違ってギクシャクしていく展開もより解像度が上がって見えるのではないだろうか。

    25歳というタイムリミットに追われながら、「人気があればそれでいいのか?」「実力でのし上がるのが正解なのか?」と各々のイデオロギーをぶつけ合う事でブックを超えたドラマが生まれる。
    プロレスとはショーであり、多くの部分がフェイクだ。
    だがそこに込められた人間関係や感情には、何よりも純粋なリアルがある。
    プロレスとはゴールの無いマラソンであり、まるで底が丸見えの底無し沼だ。

    僕が好きだったプロレスはこういうのなんだよなぁ…と「極悪女王」を観て懐かしい気持ちになった。
    過激なセンチメンタリズムに浸る秋の夜長。

    深夜のジョナサンで不貞腐れてる人。